講演会・活動報告2016年

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イベント報告[11/26]

第7回講演会

[演題]蒔田・杉田・鎌倉を結ぶ「みち」

講師:鈴木 沙織氏(青山学院大学非常勤講師)

横浜市は東京湾に面していることから、古くより大小の港湾施設が存在したことが考えられます。

その代表ともいえるのが鎌倉の外港でもあった六浦湊でしょう。本講演では、六浦湊とは別に東京湾沿岸交通において重要であったと思われる場所にスポットをあて解説して頂きました。

鎌倉・杉田・蒔田周辺図

・金沢 金沢氏 称名六浦湊(鎌倉の外港)

・釜利谷 金沢実泰

・富岡 富岡八幡宮

・磯子 平子氏

・杉田 東漸寺(臨済宗建長寺派、山号は霊桐山)

天文年間の鶴岡八幡宮造営に際し、杉田の北にあたる蒔田の吉良氏が造営に必要な材木を供出。

16世紀段階、蒔田ー杉田を経由して鎌倉へつながる海上の「みち」が存在。

杉田の東漸寺

磯子区杉田町に所在。禅院としての開創期から鎌倉と直結。1301年(正安3年)北条氏の一族である名越宗長を大檀那として建立。

東京湾沿岸地域での鎌倉文化が花開いた一つの中心地。

東京湾海上交通要衝

北条氏と東京湾沿岸地域との結びつき。六浦庄、品川、神奈川。水・陸上交通というべき場所に北条氏の支配。

14世紀の初め頃における名越氏と東禅寺の結びつき。鎌倉後期における、東京湾沿岸地域の水陸上交通への関与を押し進めようとする北条氏の動向の一つ。




終了後は講師と共に懇親会。また突っ込んだお話が、和やかに弾みます!

イベント報告[9/24]

第6回 講演会 演題「玉縄城から北条氏を知る」

千葉県文書館県史・子文書化勤務、中世東国史を専門とし

とくに戦国時代の房総や小田原北条氏について研究。

講師:石渡 洋平 氏

玉縄北条氏は、相模国東郡の玉縄城(神奈川県鎌倉市・藤沢市)を拠点に小田原の防衛拠点、関東制覇の前線基地として機能した。玉縄北条氏歴代は、「玉縄殿」と呼ばれ、北条氏の領国支配において重要な役割を果たした。

前列左より2人目、講師 石渡洋平氏 前列お隣、明智憲三郎氏(光秀の子孫、本能寺の変331年目の真実40万部突破) 

とても分かりやすい終始明るく楽しい講演会でした。

懇親会では明智憲三郎様も最後までご参加いただきました。会員の皆様にも感謝申し上げます。

イベント報告[6/25]

平成28年6月25日(土)

「弘明寺観音から真照寺を歩くパワースポット」


①弘明寺(横浜市最古の寺)②無量寺(源氏子孫の寺)③旅館松島にて昼食④勝国寺(]蒔田の吉良一族ゆかりの寺・裏山現英和学院が蒔田城跡)⑤三殿台遺跡(縄文~古墳の複合遺跡)⑥岡村天満宮(歌手ゆずの壁画が有名)⑦龍珠院(伝説の龍の珠がある寺)⑧真照寺(平子氏と平安時代後期の毘沙門天像が有名)

第3回ゆかりの地を訪ねる歴史散歩


杉山神社

おもに五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である


旅館松島にて三殿台館長より三殿台遺跡の説明を受ける。のち同席で昼食をとる。

13時40分出発。

勝国寺(蒔田の吉良氏の菩提寺)

講師  竹村紘一氏

吉良氏は(きらし)は、日本における武士の

氏族の一つであり、代表的なものに下の三つの流れがある。

  • 清和源氏足利氏支族の吉良氏(善継流)奥州【武蔵】吉良氏
  • 清和源氏足利氏支族の吉良氏(長氏流)三河吉良氏。
  • 清和源氏為義流の吉良氏。土佐吉良氏。

本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の一門である。

吉良氏は足利一門において名門とされ、分家の今川家とともに足利将軍家の連技としての家格を有した。その格式は「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで庶民に言われ、足利将軍家の血脈が絶えた際には足利宗家の家督を継承することが許されていたという説が巷にはある。

ただ、三河でも家格の高さに武力が伴わず、家運は低迷、大名としての存続は絶たれた。しかし両系統は江戸時代に家名を繋いでいる。

 

 

岡村天満宮

道真公ゆかりの地

学問の神様、菅原道真公を祭る岡村天満宮。

源頼朝の家臣が京都の北野天満宮から分霊を迎え、社を創建したといわれている。境内には針塚や筆塚の碑、なでるとご利益があるとされる牛の石造がある他、地元出身のフォーク「ゆず」の壁画も。

案内 竹村紘一氏

高野山真言宗の寺院。山号は禅馬山。院号は三郷院または蜜厳院。本尊は阿弥陀如来。寺伝では、平安末期の寿永元年(1182年)に磯子の領主・平子有永によって再興されたという。開山開祖は不明。

 

平子有永は吾妻鏡にも名前の見える武将で、曽我兄弟の仇討ち事件では、源頼朝の陣屋警護の任務についており、曽我祐成(曽我十郎)と切り結び負傷したという。

寺伝では、重傷を負いながらも生還できたことを日頃から信仰する毘沙門天の加護と喜び、当寺に毘沙門天像を奉納したとされている。

現在、本堂に安置されている毘沙門天がそれで、平安後期の作風を今に残すとの理由から、横浜市の指定有形文化財になっている。

再興されて以降、平子氏の出身者が代々住職を務め、平子氏の菩提寺として隆盛を誇ったという。

 

当時は承元三年貞暁上人の創建によるもので霊像不動明王が祀られている。貞暁は源頼朝の子として鎌倉に生まれたが、故あって幼少より仏門に入り、紀伊の国高野山で修業に専念した。頼朝の死後、幕府は政権の安定を欠いたが、幕府創業の功臣執権北条時政は貞暁を将軍職として鎌倉に招聘した。貞暁は途上蒔田の宿場に着いたがその夜持仏である不動明王が夢枕に立ち、「汝、鎌倉に入るとも世はすでに北条の天下である。旬日のうちに運命の厄に遇わん、宜しくこの難を避け菩提の道を得られよ」とお告げを受けた。・・・・


松島で昼食の前、三殿台遺跡についての三殿台の館長さんが来てくださり、プロジェクターを使って1時間の授業をしてくださいました。

三殿台遺跡見学

三殿台遺跡は、本調査時の稀有な調査成果から、一時全国的に名前の知られた遺跡である。その後も、日本考古学史のなかに燦然とその名が輝いているものの、その実態については未だ不明な部分が多く、現在の考古学の最前線では、その本来の資料的価値がほとんど認識されていないといっていい。

曹洞宗 龍珠院

深い緑に包まれた、静かな佇まいの禅寺

戦国時代の乱世に創建された龍珠院

 

本尊は十一面観世音菩薩坐像です。他に阿弥陀如来立像、地蔵菩薩坐像が祀られています。

 

1552年(大栄2年)に北条氏繁が建立

横浜に伝わる民話に「竜の影法師」という話があります。南区の堀ノ内の宝生寺の池に大きな竜がすみ、満月の夜、自分の巨大な影法師を作ったりして楽しんでいました。ある日、池の縁からきこえた「寺を建て、多くの人々を救いたい」という声に竜の影法師の範囲内に寺を建てたという話で、竜が宝珠を握る右手が「竜珠院」の場所だと伝えられています。・・・社寺探訪4月号より


イベント報告[5/3]

平成28年5月3日(火)晴れ

スーパーパレード 11時15分ニューグランド前出発

蒔田の吉良時代行列10番目

徳島 池田町 本家 阿波踊り 吉野連 協力

甲子園を沸かせた池田高校のある池田町からです) 


「国際仮装行列 蒔田の吉良」でご検索下さい。3ヶ所から撮影された動画を見ることが出来ます!

当日テレビ中継・沿道アナウンスの内容

初参加です。南区蒔田に忠臣蔵で有名な吉良家と先祖を同じくする吉良家があった事を多くの方に知っていただきたいと応募しました。世田谷から蒔田まで小田原北条五代に守られ、二代に渡り婚姻関係を結び繁栄しました。そんな時代の歴史的人物に地域の校長先生たちに仮装していただき、横浜蒔田と縁を繋いでくださった阿波踊りの本家、徳島池田町から「吉野連」が応援に来て下さいました。甲子園を沸かせた池田高校のある池田町です。合わせて横浜市歌も横浜発祥、勝海舟が名付け親の七々扇流の皆さんにも踊っていただきます。


イベント報告[4/9]

第5回 講演会

テーマ「戦国時代の久良岐郡と小田原北条氏

講師:真鍋 淳哉氏 青山学院大学講師

[講演内容]

戦国時代、吉良氏のいた蒔田は武蔵国久良岐郡に属していました。久良岐郡は、小田原北条氏と敵対する里見氏の領国房総半島と東京湾を挟んで対峙する立地であったため、それへの対処をも必要としました。こうした戦国期の久良岐郡の様相を、「水軍」という視点を中心にしてみていくとともに、北条氏から吉良氏に嫁いだ鶴松院殿という女性に関する点にも言及していきたい!



蒔田の吉良が少しずつ解明出来て参りました。北条五代と如何に関わってきたかを知る一歩となりました。今年は北条氏を知ることにより蒔田吉良氏との関わりを深く追求して参りたいと思います。

次回の講演会は、9月24日(土)「玉縄城を知る」講演者:千葉県文書館の石渡洋平氏を予定しております。